詩篇145篇からの説教

 ↓メッセージが聞けます。

数週間前、ある友人が私に「神を賛美する生活はうまくいってる?」と尋ねてきました。「えっ?それって祈りの生活っていう意味?」と私は聞き返しました。友人は、「いや、祈りの生活じゃなくて、神を賛美する生活のことだよ。」と言って、神を賛美する生活とは何かを説明してくれました。それは日々神に心を向ける時間を作り、神のご性質や神がなしてくださったことをほめたたえる生活のことだと教えてくれました。

私はそれを聞いて、新型コロナウィルスの状況になってからの数か月間、自分の神への賛美が十分ではなかったことに気付かされました。確かに自分の不安を御前に注ぎ出しましたが、神へ感謝を捧げる時間が多いとはいえなかったことを反省しました。困難のただ中にいると、神を賛美することがなおざりになりがちですね。
「だから、神を賛美する生活の習慣を作っていく必要があるんだよ。」と友人は言っていました。

アメリカ人の牧師ジョン・パイパー師は、神への賛美を習慣づけることで、私たちが抱える問題がいかにちっぽけで、神がいかに偉大かに気付くことができると言っています。私たちは自分の人生の問題を実際よりも大きく捉えてしまいがちです。そして私たちが弱い時にこそ、十分な恵みを与えてくださる神に仕えることを忘れてしまいます。

様々な理由から、神をほめたたえることを習慣づけた方がよいのは明らかなのですが、今日はどのように神をほめたたえる心を養っていけるかについて、お話していきたいと思います。詩篇145篇を読んでいきましょう。この詩篇について3点お話していきます。賛美の心を養うために、1)神がどなたかを知る 2)神がなしてくださったことを思い出す 3)神のことを周りの人々に伝える  
詩篇を読む前にお祈りしましょう。

(詩篇145篇を読む)

1)神がどなたかを知る
第一のポイントは、神を賛美する生活の中で霊的に成長していくには、神はどなたなのかを知らなければならないということです。その方が持っている素晴らしい性質がどんなものなのか知らずに、ほめたたえることはできません。

2009年、イギリスのテレビの歌オーディション番組にスーザン・ボイルというスコットランド人の女性が出ました。彼女は白髪でふくよかな中年の女性で、とても音楽のアーチストとして成功しそうにない外見だったのですが、ミュージカル、レ・ミゼラブルの「夢やぶれて」という曲を歌いだすと観客は息をのみました。そして審査員たちもスタンディングオベーションとなりました。観客は彼女の歌を聴くまで、彼女がどんなに素晴らしい歌い手かわからなかったのです。

さて、私たちは神様の素晴らしいご性質に気付いているでしょうか。今までに心の中で、われんばかりの拍手喝采をして神を賛美したことがあるでしょうか。あるいは、「ああ、神様ね、そうね、神様はまあまあいいよ」と気のない拍手をしているでしょうか。

詩篇145篇を読むと、何故ダビデから神をほめたたえる言葉が溢れ出すのかがわかります。それはダビデが神のご性質をわかっていたからです。
例えば、1節に、神は王、3節には神の偉大さは測り知れない、4節には代から代へとみわざをなす方であること、5節には栄光輝く神の主権、8節と9節には、主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられるとあります。13節には主は永遠にわたる王国を統治されること、15節、16節では主は私たちの必要を満たしてくださる方、17節には主は全ての道において正しく、全てのみわざにおいて恵み深いとあります。18節では主を呼び求める者全てに主は近くにおられること、19節、20節では主は私たちの叫びを聞き、救い出してくださることが書かれています。

皆さんは神のこれらのご性質うちのどれかを経験したことはありますか。私は15節、16節に共感します。「すべての目は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。」それから18節の「主を求める者すべてに主は近くあられる。」もそうです。新型コロナウィルスで私の仕事や収入は打撃を受けましたが、私が叫ぶと神は応えてくださいました。この状況になる以前においても、日本で4年間、神は私に必要なものを与えてくださいました。ですから今、私がここにいること自体が奇跡です。
全能なる神を仰ぎ見ると、明日に立ち向かう勇気が湧いてきます。神の強さを知るからです。

2)神がなしてくださったことを思い出す
第二のポイントは神がなしてくださったことを思い出すことです。5節でダビデは 「あなたの奇しいわざに思いを潜めます。」とあります。エジプトで奴隷だったイスラエルの民を神が救い出してくださったことを記念して、イスラエルでは古くから毎年過ぎ越しの祭りが行われています。また、イスラエルでは神の助けを覚えて、記念に石を積み上げる行事があります。

本当の石ではありませんが、イスラエルの神の助けを覚えて積み上げるこの石のように、私が何度も何度もいろいろな人にお話ししている証があります。それは私が十代の時に、神が私を救ってくださった話です。実は私は家庭崩壊が起こっている家庭で育ったので、神が私を救ってくださらなかったら、私は深刻な精神的な病を抱えていたかもしれません。皆さんはたとえ小さなことでも、神が助け出してくださった思い出はありますか。神が手を差し伸べて下さったことを一つ一つ思い出し、今日もまた神は私たちの助け手であることを覚えていきたいものです。

イスラエル人はコミュニティ全体で神を崇めました。クリスチャンも日曜礼拝で集まり、賛美を一緒に歌ったり、聖餐式をしますね。新型コロナウィルスで今は教会で聖餐式をしていませんが、是非、家庭で家族と聖餐式をしてみてはいかがでしょうか。聖餐式は主なるイエスが私たちのためになしてくださったことを思い出す、尊い時間です。聖餐式は普通、多くの教会で静かで厳粛な儀式です。それは自分自身を省みて、悔い改める時だからです。でも、喜びと賛美の心でパンと杯を受け取る時であってもよいと私は思います。

もし、道路を渡っていて車にひかれそうになったまさにその時に、誰かがあなたをつかんで引き戻してくれたら、あなたはその人に大いに感謝するでしょう。全然知らない人でもその人をハグして、何かプレゼントをあげたくなるでしょう。ひかれそうになったその瞬間を考えて動揺し、今生きていることを新たな気持ちで受け止め、今生きていることがどんなに幸せなことが実感するでしょう。同様にイエスは私たちを危険から引き戻しくださる方です。イエスはあなたの身代わりに車にひかれてくださった方といえます。

もし、イエスが私たちの身代わりに死んでくださらなかったら、私たちは未だに(霊的に)死にゆく運命です。イエスの犠牲と愛を私たちが真に理解できれば、私たちは自然に神をほめたたえる気持ちになるでしょう。そしてイエスのことを他の人に伝えたくなるでしょう。

3)神について他の人に伝える
三つ目のポイントは、他の人に神のことを伝えることで、私たちは神をほめたたえる習慣をつけていくことができるということです。
何か素晴らしいことを経験した時、誰かにそのことを伝えたくなります。英会話の生徒さんたちが「JIN-仁-」という、ある外科医が江戸時代にタイムスリップするドラマを勧めてくれました。しばらくレッスンでそのドラマがよいという話が続いたので、私も見てみたくなりました。見てみると確かにとてもよいドラマでした。今度は私がそのドラマのことを他の人に伝えたくなりました。まずこのドラマを勧めてくれた生徒さんたちに感謝しました。そして、私はこのドラマのことを義理の両親に教えました。

神をほめたたえることは、教会で賛美曲を歌うことや祈りによって神に感謝することのみに捉えられているかもしれません。しかし、私たちはいろいろな方法で神をほめたたえることができるのです。その一つは、あなたの神との経験を他の人に伝えることです。詩篇145篇11節、12節では、「(神の人々は)あなたの王国の栄光を告げ、あなたの大能のわざを、語るでしょう。こうして人の子らに、主の大能のわざと、主の王国の輝かしい栄光を、知らせましょう。」とあります。

私たちは、ノンクリスチャンの友だちに変な人と思われることを恐れて、神のことを伝えないことがよくあります。そのような心配をしてしまうことももっともだと思います。ですから、周りの方に伝える時は神の導きを祈ることが大切です。神の素晴らしさをクリスチャンの友人に話すことを通して、ノンクリスチャンの友人に話せるよう慣れておくのもよいかもしれません。

結び
今日のポイントをまとめます。私たちは神をほめたたえる習慣をつけていきましょう。神は賛美にふさわしい方です。神に心を向けることで、私たちは神の力、神の愛を握って、人生の問題や試練に立ち向かっていくことができます。神をほめたたえる習慣をつけていくためには、まず私たちは神を更によく知らなければなりません。神が私たちの人生において、どんなによくしてくださったかを振り返ってみましょう。そして、私たちの神への愛、神への信頼を新たにしていきましょう。また、愛する神のことを周りの人に伝えていきましょう。ひょっとしたら、あなたの話を聞いた人が神の祝福を受けるかもしれません。私たち一人ひとりが更に神を経験していけるよう祈ります。