約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

↓メッセージが聞けます。

今回は、「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(へブル10:36)からのメッセージです。忍耐と信仰、これらの言葉が今日のメッセージの中心的な言葉となります。以前に指摘したように、初代教会は大きな迫害を経験することになります。そのような環境下で、キリストへの信仰を捨てて、ユダヤ教に戻ろうとする方々も多く起こってきたようです。そのような、彼らに、厳しい警告の言葉が語られてまいります。厳しい警告の言葉とともに、確信、大きな報い、そして忍耐との言葉を用いて、困難な環境の中で生きていく信仰者を励ましている、それが今日の箇所です。それでは、へブル10章26-39節を読んでみてください。
 
まず、26節から31節まで、ユダヤ教に戻ろうと考えている信仰者に向けて、厳しい警告の言葉が語られています。26節には、「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。」と書かれています。真理の知識を受けてとは、どのようなことを言おうとしているのでしょうか。第一テモテ2章4-6節には、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」とあります。この聖句から、少なくても、真理の知識とは、すべての人が救われることを神が願っておられること、そして、そのためにキリストは仲介者となられ、贖いの代価を支払ってくださったことなどを信じる知識であると理解できるのではと思います。事実、真理の知識を持つ者は、ことさらに罪を犯すことは不可能なことではないかと私は思っています。
 
29節には、「まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。」と書かれています。恵みの御霊によって、私たちはキリストへの信仰に導かれて行きます。また、私たちは聖餐式で、イエスの十字架で流された血は、新しい契約のしるしであることを確認します。ユダヤ教に戻ろうとすることは、キリストの十字架での救いの働きを否定することであることに気づいて行きたいです。それは、聖霊の働きを否定することでもあるのです。
 
クリスチャンは、真理の知識を持つ者です。御霊に導かれて生きる者です。自分も赦されたように、他者を赦して生きようとする者です。さらに、「主がその民をさばかれる。」(30)とあるように、畏敬の念を持って神に仕えて行く者です。その認識を再度共有してまいりましょう。
 
35節には、「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。」と書かれています。彼らは、苦難の中でも、激しい戦いに耐えて来た者たちです(32)。キリストを信じて救われた喜びと共に、苦難に耐え、困難の中に生きる信仰者を助け続けて来た者たちです。そのような彼らに確信を投げ捨ててはなりません、と語りかけています。確信、それは、救いの確信であり、キリストがもう一度戻って来られ、永遠の命を与えてくださることを信じる信仰の確信です。永遠の命が与えられる、私はそう信じ、天国の希望を持って生きています。それこそ、大きな報いであると私は思っています。
 
36節には、「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」とあります。神のみこころとは、イエスを信じる信仰の決断を含みます。そして約束のものとは、永遠の命を含む言葉です。約束のものを手に入れる、そのために必要なのは忍耐ですと書かれています。忍耐、この言葉を考える上で、ローマ書5章3,4節を参照します。そこには、「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」と書かれています。忍耐は品性を生み出す、これが神のご計画です。神は決して、目的のない試練を私たちクリスチャンに与えません。試練から多くのことを学ぶと共に、私たちの内側に品性を生み出していく、その視点をもつ信仰者でありたいと願っています。
 
38節には、「わたしの義人は信仰によって生きる。」と書かれています。この聖句はハバクク書2章4節からの引用です。信仰を持って生きる者を神は義人、また、正しい人として見てくださっています。試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、天国への信仰をもって、ゴールを見失わない生き方を目指して行きたいと願っています。どんな信仰者も、忍耐と隣り合わせの人生を生きてきたことを忘れてはいけないと思います。