「わたしを仰ぎ見て救われよ。」(イザヤ45:22)

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今回は、旧約聖書のイザヤ書から10回目のメッセージです。前回は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)とのテーマで語りました。救いは私たちの善行によって与えられるものではありません。私たちが救われたこと、それは神のご意思であり、神ご自身の恵みの業です。43章25節に、「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思いださない。」と神のご意思が書かれているからです。神が私たち一人一人を尊い者として見てくださり、神の愛ゆえに救いが私たちに与えられているのです。私は尊い存在、私は神に愛されている、そのような信仰告白を共にして行こうではありませんか。44章では真の神と偶像の神々の違いを述べています。真の神は私たちを創造し、私たちをお選らびになり、贖いを備えてくださる方です。そして、バビロン捕囚からの解放を与えるために、クロス王を選んでおられるのです、そのような預言が書かれています(44:28)。
今回は45章を取り上げます。45章を通して、神は世界の歴史を支配しておられ、私たちの人生の喜びも悲しみもご存知である、そのことに気づいて行きたいと願っています。
それでは、45章を読んでみてください。

45章1節には、「主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。」と書かれています。45章は、歴史を支配する唯一の神がおられる、そのことを読者に伝えようとしています。クロスの名前が44章28節に初めて出現しました。そこで、クロスをわたしの牧者、わたしの望むことをみな成し遂げる王と表現しています。このクロスはメディア出身のペルシャ王のことです。紀元前539年に彼はバビロンを征服します。それが46-48章にかけて預言されています。クロスとの名前は、支配者を意味する一般的な名称であったようです。メディア出身のペルシャ王は、王位についてから、イザヤの預言を知って、この名を自分の名としたとも言われています。イザヤは紀元前8世紀の預言者ですので、それから100年以上過ぎてから起きるバビロン捕囚の預言や、さらにクロス王によるエルサレムへの帰還の預言もできたとすると、私たちの想像をはるかに超えています。それは、これらの出来事がすべて神の摂理の中で起き、そして、神は歴史を支配しておられることを明らかに示していると私は思っています。神様は、すべてを創造された方、歴史を支配される方です。

2-7節には、神がクロス王にバビロンを征服することを許していることが明らかにされています。4節で、「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。」と書かれています。もともと異邦人であったクロス王、あなたはわたしを知らない。でも、神は彼を選んでいて、彼に力を与え、わたしの牧者、そして油注がれたと言う肩書を与えると表現されています。油を注ぐとは、神がその任務のために特別な能力を賦与することであり、その目的は、神の牧者として、エルサレムを再建し、神殿の基を据えることであることを預言しています(44:28)。そして、その目的は、神ご自身がこれらのことを行なったことを世界の人々が知るためであるのです(6)。7節には、神様こそ、光もやみも、平和もわざわいも創造する方であると表現されています。今私たちが生きているこの世界、良いことも、悪いこともたくさんあります。しかし、神の知らないことは何もないのです。すべてが神の許しの中で起き、神様こそすべての創造者であるとイザヤは私たちに伝えています。

聖書の教える神は、私たちの人生の喜びも悲しみもご存知です。皆さんはどのようにして、聖書の神に出会ったのでしょうか。私は、高校生の時初めて教会に行き、イエスを私の救い主として信じ受け入れました。つたない祈りを通して、大学や、留学や、就職に導かれたなと自分の人生を振り返ります。さらに結婚や、教会の開拓に導かれ、今があるのだと思っています。もちろん良いことばかりではありません。時には悲しみを通して、信仰が成長させられたとも思っています。皆さんも同じではないでしょうか。時にかなった助けを神は与え、あなたの人生を神様は築いてこられたのではないでしょうか。世界の歴史を支配されているお方は、あなたの人生をも導き、築き上げることのできる方なのです。

14節には、エジプトを含む他の民族もイスラエルに来て、彼らにひれ伏し、「神はあなたのところにだけおられ、はかにはなく、ほかに神々はいない。」と言うと書かれています。彼らはイスラエルの人たちが神によって助けられ、解放されていく姿を通して、真の神を見るのです。そして、イスラエルと一緒になって創造主なる神を礼拝する姿が預言されています。まだ、その時は訪れてはいません。終末に起こる預言として理解する時に、私たちはイスラエルが祝福されることを祈り求めて行く必要があります。イスラエルがキリストに出会って変えられて行くように。キリストの再臨の時、世界の多くの民族がイスラエルと共に神を礼拝するようになるのです。その日を信仰の目を持って待ち望んでまいりましょう。

20-25節では、諸国からの逃亡者たちよ、地の果てのすべての者よ、と呼び掛けています。逃亡者とは、為政者によってしいたげられている人たちのことです。それも地の果てと、全世界に向けて呼びかけています。これは、異邦人に対する救いの招きの言葉です。諸国の民は、バビロンから解放される神の民イスラエルを見るのです。イスラエルを解放された神を見て、正義の神、救い主の存在に目を向けるようになるのです。神は全世界の異邦人に向けて語りかけます。「わたしを仰ぎみて救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」と。そして、全世界の信仰者をイスラエルの子孫と呼んでくださり、主によって義とされる(25)と語りかけています。イスラエルの子孫とは、神によって選ばれた真の契約の民のことです。
今私たちは、キリストの十字架での罪の贖いを受け入れています。そして、神の前に義とされて生かされています。それは、歴史を支配される神のご計画であり、私たちと共に働く神の御業であることを覚えて、感謝する者でありたいです。

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