「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

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今回は、旧約聖書のイザヤ書から9回目のメッセージです。前回からはイザヤ書の第五部に入りました。それは、40‐55章にあたります。その内容としては、主のしもべであるイエスによる救いが主に預言されています。40章では、全能の神によるシオンの救いが語られています。救い主が、私たちの羊飼いとなられ、私たちをふところに抱いてくださり、私たちに力を与えてくださるのです。イザヤは、その方と共に歩むように読者にチャレンジしています。41章では、解放者なる神の働きが預言されています。それは、後にメディアの王クロスがバビロンを征服し、バビロン捕囚からの解放をイスラエルの民に与えることで実現します。それも、「だれが、これを成し遂げたのか。初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。」(41:4)と語り、人ではなく、神ご自身が解放者として働いておられることに言及しています。さらに神はイスラエルを友と呼び、イスラエルを贖うのだと約束しています(41:8、14)。42章では、真のしもべの姿に言及しています。わたしのしもべと呼ばれる方は(42:1)、文脈からイスラエルに残された信仰者の群れや預言者たちにも当てはまりますが、後にこのしもべの姿は、イエスによって実現することになります。全世界がこの方の出現を待ち望むのです(42:4)。43章では、イスラエルを贖う神の姿が美しく表現されています。今日は、神の愛に視点を置いて43章からメッセージを語って行きたいと願っています。それでは、43章を読んでみてください。

43章1節で、神は、イスラエルに語りかけます。「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。・・恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」と。創造主である神が、ヤコブよ。イスラエルよ、と語りかけます。あなたはわたしのもの、と。信仰者の群れであるイスラエル、彼らは特別に神の選びや助けを経験してきたのです。エジプトでの奴隷の状態から助け出されたのです。2節では、その歴史に触れ、「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。」と語りかけています。信仰者の群れであるイスラエルを神は選び、守ってくださったのです。3節では、「わたしが、あなたの神、主。イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。」と書かれています。本当に私たち信仰者と親しく歩んでくださる神様がおられるのです。4節で、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と、神はイスラエルに語りかけています。本当に美しい表現です。神は私たち一人一人に同じように語りかけてくださっています。神の愛のゆえに、私たちは罪が赦され、救われて行くのです。同時に私たちは気づかなければいけません。神の愛を受け入れて生きる決断を私たちはする必要があるのです。5節には、「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。」と書かれています。これは、イスラエルの民が、バビロン捕囚から故郷に戻ってくる預言と共に、終末の時にイエスによって多くの者が集められていく預言の言葉と理解することができます。イザヤはイスラエルがバビロン捕囚から解放され、新しい民とし帰国していく姿を見ていたように思われます。バビロン捕囚からの解放はどのように起こったのでしょうか。それは、神がメディアの王クロスを立てることを通して起きてきました。彼は、捕囚とされていた多くの民族を故郷に返し、礼拝の自由を認め、メディアの国のために祈ることを命じたのです。このような政策も、神がクロス王の心にその思いを起こさせて実現するのです。同時にバビロンに移って行った聖書の神を信じる信仰者たちの証も神は用いて下さったとも言えると思います。

イザヤは、3節の後半で、エジプトをあなたの身代金とし、と表現しています。神は、すべての民を裁かれます。イスラエルの出エジプトの体験は、エジプトへの神の裁きでもあったのです。この3節の言葉は、イスラエルの解放の時に、クロス王によってエジプトが裁かれる出来事を預言しています。救いは2面性を持っています。信じる者は救われる。だか、信じない者は神の裁きに会う。信じて光の中に生きる生き方と、信じないで暗闇の中に生きる生き方があるのです。参照ヨハネ3:16-21。

10節には、あなたがたはわたしの証人、と書かれています。ユダヤの人々は、創造主なる神様の証をするのです。神の愛を体験し、赦しを体験した私たちも同様です。いかにして、自分が救われて行ったか、その証をするのです。11節に、「わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに救い主はいない。」と書かれています。私たちは、救い主から罪の赦しをいただいています。その証をなして行くのです。

19節には、「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。」と書かれています。神様は、高慢になったバビロンやエジプトを裁かれます。もう、すべての過去の苦しみを忘れなさいと語りかけています。神様ご自身が新しいことをあなたの人生に起こしてくださるのです。

25節には、「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思いださない。」と書かれています。この言葉は、今日のメッセージの結論の言葉であると思います。私たちは、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と語られる神の愛ゆえに救われていくのです。救いは私たちの善行によって与えられるものではありません。神のご意思であり、神ご自身の恵みの業です。本当に感謝です。神の愛を日々、受け取ってまいりましょう。信仰を持って神の救いを受け取り、私の人生を神は大いに変えてくださった、そのような証をなしていこうではありませんか。

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