イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

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 今回は、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(へブル13:8)からのメッセージです。いつまでも変わらないイエスがおられる、なんと励ましに満ちた約束の言葉ではないでしょうか。イエスの働きを再度へブルの手紙から確認してみたいと思います。そして、私たち一人一人の信仰の確信を強めて行ければと願っています。それでは、へブル13章7~17節を読んでみてください。

イエスの働きを紹介するにあたり、へブル書の作者は、1章2、3節で、「神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座につかれました。」と書いています。4章14-16節では、イエスを偉大な大祭司であると紹介しています。この大祭司のことを、「私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」と表現しています。5章8、9節には、「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、」とあります。7章24、25節には、「キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」とあります。さらに、9章12節では、キリストは永遠の贖いをなしとげられた、と書き、続く15節では、「キリストは新しい契約の仲介者です。」と紹介しています。
皆さん、もう一度、これらの言葉をかみしめてください。イエスは決して変わりません。イエスこそ、世界を造られた方、万物の相続者、万物を保っておられる方、罪のきよめを成し遂げられた方、私たちと同じように試みに会われた方、変わることのない祭司として私たちのために祈りをささげてくださる方、永遠の贖いをなしとげられた、新しい契約の仲介者です。私はこれらのキリストの働きを覚え、驚きや感謝で満たされます。そのように、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」と信仰の告白をしてまいりましょう。

13章7節には、「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思いだしなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」と書かれています。皆さんはどのようにしてこのキリスト教の信仰に導かれてきたのでしょうか。誰かがみことばを紹介し、そのような指導者に導かれて信仰者になったのではないでしょうか。私は、高校生の時キリスト教の信仰を持つ良い友人と出会い、教会に導かれ、多くの良い信仰者や牧師先生、また宣教師の家族に励まされて信仰に導かれてまいりました。前回のメッセージにあったように、兄弟愛にこころを動かされた思い出が多くあります。私は兄弟愛に感動し、良き手本が近くに与えられて信仰が強められてきました。皆さんも同じではないでしょうか。私たちも聖霊の助けによって良い指導者になることができるようにチャレンジを受けたいと願います。17節には、「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また、服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。」と書かれています。見張りをするとは、寝ずの番をすることです。お互いに情報を交換し、何かの問題にぶつかる時には、祈りや具体的な助けをすることができる指導者でありたいと願っています。兄弟愛を持つ指導者が多く起こされていくように期待して行きたいです。

9節には、「さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。」と書かれています。さまざまの異なった教えとありますから、ユダヤ教の律法主義的な教えとグノーシス主義の教えが教会に起こってきたことが予想されます。キリストへの信仰から、これらの教えは目をそらしてしまいます。キリストこそいつまでも同じ方です。キリストへの信仰で十分です。キリストの愛ゆえに私たちは救われたのです。聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、そう宗教改革者たちが強調したことをぜひ覚えて行きたいです。当時起こった異なった教えの一例として、コロサイ書2章16-23節も参照してください。禁欲主義に陥った異端の姿が書かれています。私たちはいつでもキリストの恵みを覚える信仰者でありたいと願います。

15、16節には、新約時代の新しい礼拝の姿が教えられています。私たちクリスチャンは、いつでも賛美のいけにえを捧げるのです。そして、御名をたたえるくちびるの果実を神にささげるのです。ホセア書14章1、2節にも「私たちはくちびるの果実をささげます。」と書かれています。主に立ち返り、罪ゆるされ、神への賛美をささげる姿が預言されています。キリストによって新しい時代が到来したのです。16節では、「善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。」とあります。旧約聖書の動物をささげる礼拝から、大きな変革が起こったことに気づかれるのではないでしょうか。イエスはいつまでも変わりません。このキリストを愛して、兄弟愛をもって多くの方々を具体的に愛する生き方が始まったのです。聖霊に導かれて、新しい礼拝を共にささげていきましょう。(その他参照箇所、ローマ12:1、ペテロ第一2:5、ヤコブ1:27)

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