マタイの福音書4:1~4「人はパンだけで生きるのではなく」_北澤牧師

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①1月の礼拝では、きょうと同じ箇所から、人となって私たちの世界に来てくださった主イエス・キリストが、極限状態に置かれた時に、「人はパンだけできるのではない」と語られた、そのみ言葉について、皆さんと一緒に考えてゆきました。

・そして、この「人は、パンだけで生きるのではない。」という御言葉の意味は・・、
「人が、人生の本当の意味や、その目的を教えられ、次の世界への希望が与えられ、この地上での日々を
喜びと感謝にあふれて、活き活きと生きてゆく・・、そういうことが成り立つのは、パンだけによるのではない。」 そういう意味であった、ということを学びました。

②では、そのように活き活きと生きる人間であるために、人は、パンの他に何が必要であるとイエスさまはここでおっしゃったのでしょうか。

・話が聖書から離れますが・・私たち夫婦の間には4人の子どもが生まれてきました。 
・しかし、「こどもが生まれた」という感動のニュースを最初に聞いたのは、もう、随分と昔の事になりました。 
・ところがです。 それは、確かに、どの子の場合も、40年以上前のことになるのですが・・、私の中では、まるで数分前の出来事のように、脳裏に刻まれているから不思議です。
・生まれて間もない、まだ、目もよく見えていない、そういう生まれたての我が子に、妻が初めて母乳を飲ませている・・そのときの光景、それは、私の目に、正に焼き付いているのです。
・これは、何といいましょうか・・、男である私が、近づけないような、何か非常に神秘的な空間です。
・妻は、生まれたばかりの子どもに授乳し終わると、もう何十年もその子と一緒に暮らしてきたかの様に、その子に話しかけます。「いい子だねえ、もうお腹がいっぱいなんだね。かわいいねえ、じゃあ、おやすみ・・」

・私は、その様子を見る度に、きょうの聖書箇所、主イエス・キリストが語られた4章4節の御言葉を思い出すのです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」この御言葉です。
・そして、その度に、このように思いました。
「このような母親の温かい言葉を聞きながら成長してゆく子どもたちは、何と幸せな子どもたちなのだろう・・」

③ヘレン・ケラーという人の伝記を読まれたことのある方は多いと思います。
日本人でも、ほとんどの人が、彼女の事を知っています。
・ご存知の様に彼女は、「見えない、聞こえない、話せない」という世界に、置かれていた人でした。
ある時まで、彼女は、まるで猛獣のような状態であったというのです。 
しかし、ある日、彼女の中に「言葉」が入った・・。(最初は水という言葉だったそうですが)
・「言葉が彼女の体の中に入った」そのことがあってから、彼女は猛獣から人間に変わったというのです。
・言葉によって、彼女は、自分が人間という存在であることがわかった。
言葉によって、自分を生んでくれた母親がいることも・・ 言葉によって、自分を愛してくれる人たちがたくさんいることも彼女はわかったのでした。
・そして、彼女は、言葉によって、自分を愛しておられる、神さまがおられるということもわかっていったのでした。

・その後、英語だけではありませんで、フランス語でも、ドイツ語でも、ラテン語や古代ギリシャ語の言葉も彼女の中に入っていったのでした。
・そして、多くの人を感動させる、あのような人格者となっていたのでした。
彼女は、ことばによって・・人は、ここまですばらしい人間に変えられてゆく可能性があることを証明したのです。

④彼女だけではありません。私たちも、そうです。私たち一人一人の体の中にも、沢山の言葉が入っています。 
どういう言葉が、私たちの中に入っているのでしょうか・・。
このことは、私たちの人格を決めてゆくことではないでしょうか・・。

・主イエス・キリストは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる。」とおっしゃいました。
・神からの、御言葉、その、一つ一つこそ、人が、人として、活き活きと生きてゆくために、最も必要な事、そうおっしゃったのでありました。

・つまり、ここで、「生きる。」と言っていますのは、単に息をしている、そういう意味ではありません。
・人間として、希望と喜びと感謝に包まれて、活き活きと生きている、という意味の「生きる」です。
 人生の意味やその目的を知り、次の世界への確かな希望を持ち、この地上の日々を、感謝と喜びを持って前進している・・そういう意味の「生きる」です。

・そのような人間である、そのためには・・神の口から出る、愛に満ちた一つ一つのことば、そのことが、不可欠、なくてはならないことである、そのように主イエス・キリストはおっしゃったのでした。
・これは前回も申し上げましたが・・だからといって、主イエスは、パンを軽視せよ、と言っておられるのではありません。

・(何もしなくても有り余る多くのパンがある、皇室の方であるとか、貴族、そういう特異な環境の方は別として・・)私たちの多くの者は、パンを得るために、労してゆかなければなりません。
そして、そのことは、簡単なことではありません。
・時には、中身のない味噌汁、だけでいのちをつなぐ、そんな厳しいこともあり得ます。
・仕事を失って、パンを得る手段がなくなると大変です。厳しい生活が待っています。
・そういう現実があります。 ですから、ともすると、パンを得るだけの人生に、ならないとも、限りません。そして、いつの間にか、現実第一主義になってゆく可能性もあります。
・しかし、私たちを愛する主は・・、私たちが、その現実第一主義にはまって、いのちを失わないように、きょうのこの御言葉をもって、私たち一人一人を、真に、活き活きと生きる、そういう人間へと招いておられるわけです・・。

・「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きる。」

⑤私の家は海にとても近い所にあります。
 先日、その海岸沿いを歩いておりました時・・大空をトンビが、悠然(ゆうぜん)と飛んでおりました。
・皆さんは、海岸で、大きな鳥が空を飛んでいるのを見た時、どんなことを連想なさるでしょうか・・。
・あのレオナルド・ダビンチは、「人間もあのように空を飛べたらいいのに・・」そう思ったようです。
 そして、あの時代であるのに、彼は、飛行機の設計を始めたのだそうです。
天才は違います。 

・一方、凡才である私は、勿論、そんなダビンチの様な、斬新なことは心に浮かんできません。
私の場合、その悠然(ゆうぜん)と空を飛んでいる、その鳥を見ましたとき・・、
皆さんもよく知っておられる、あの主イエス・キリストの御言葉が浮かんだのでした。 

・「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。 
それでも、あなたがたの父は、養っていてくださいます。
あなたがたは、その鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。」マタイ6:26の御言葉です。

・その時、私は、心の中で・・「本当に、そうだなあ・・!」そう思いました。
・すると、次の瞬間、次々と、主が語られた御言葉が、心に響いてきたのです。

 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

・旧約聖書のみ言葉も心に浮かんできました。

 「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ43:1)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

・その日、どこか、沈んでいた私は・・、次々と心に浮かんだ御言葉により、一気に生きる力が湧き上がってきたのでした。
・私たちの主イエス・キリストは、このようにおしゃいました。

「人はパンだけできるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」と書いてある。

・私は、この主イエス・キリストのお薦めに応答し、神のことばである聖書の御言葉一つ一つを、これからも、こつこつと読み続け・・

・その御言葉から、慰めを受け・・、励ましを受け・・、希望を与えられつつ・・御国に向かって・・
弱々しくも、確かな前進をしてゆく者でありたい。心から、そう思うのです・・。

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