「すべての咎から彼らをきよめてくださる」(エレミヤ33章8節)

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皆さん、今日は1月の第5週の礼拝です。1月も北澤牧師やシーファン宣教師、また、パク宣教師の協力が与えられて礼拝が守られていること、神に感謝をしています。新しい年2023年も皆さんと、私たちの救い主を見上げながら、信仰の確立や成熟を目ざして歩んでいきたいと願っています。

前回のメッセージで私は、エレミヤ32章39節と40節の前半の言葉を取り上げました。そこには、「わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。」と書かれています。一つの心と一つの道、それは、救いを与える唯一の道としてお生まれになったイエスを指し示す表現です。そして、キリストを信じる信仰によって義とされると言う、新しい道が始まることを預言しています。ここではとこしえの契約と表現していますが、それは新しい契約がとこしえに続くことを示しています。イエスの誕生によって新約の時代が始まったのです。イエスを信じる者は救われていくとの神の約束こそ、とこしえの新約の契約であるのです。

今日はエレミヤ33章に入ります。1節で、「エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主の言葉があった。」と書かれています。再びとありますから、32章で取り上げたエレミヤが自分の親族の土地を買い戻すようにとの神の語りかけに続く内容です。買戻しがなされ、神の回復は始まるのです。2節には、「地を造られた主、それを形造って確立させた主、」とあります。回復と新たな形成とをなそうとする神の思いが強調されています。神は実に、回復と新たな形成をなされる方です。3節では、神様がエレミヤにこのように語りかけます。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。」神様はエレミヤにわたしを呼べ、とまず語りかけます。そうすれば、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事をあなたに告げようと語られたのです。その大切な内容は、5節から9節に書かれています。

あなたの知らない、理解を超えた大いなる事とは、第一に5節にあるように、バビロンによってエルサレムが滅ぼされること。それは人々の悪のため、神がその町から顔を隠したからだという事です。人間が意図的に神から離れ、神の導きを受け入れない時に、神が顔を隠すことがあるのです。

第二に、回復の時が必ず来るという事です。6節には、「見よ、わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。」とあります。神のいやしの時が確かに来るのです。神は、ご自身が選んだ都エルサレムの傷を癒し、治す。またそこに住む人たちを癒してくださるのです。そして彼らに平安と真実を豊かに示すとあります。平安とは、神の契約に基づく霊的、かつ物質的な繁栄のことです。心の平安だけではありません。物質的な繁栄がそこに訪れるのです。神の癒しは私たちの心だけにはとどまらずに、町全体に及ぶのです。また真実とは、神様はご自分の約束を必ず守ると言う真実です。神はイエスの十字架での贖いの業を信じる者を救うと約束されました。神は真実な方ですから、私たちがイエスを信じて生きる時に、私たちの人生も確かに変えられ、神の恵みの内に生きるようになるのです。

第三に、7節にあるように、「ユダの捕われ人と、イスラエルの捕われ人を帰し、初めのように彼らを建て直す。」と言うことです。北と南に分かれたイスラエルの民は一つとなって、もう一度再建されるのです。イスラエルの民への再建の約束と捉えることができます。初めのようにとは、神の律法が与えられた時のように祭司の王国、聖なる国民として回復されるのです。参照出エジプト記19:5,6。

四番目に、8節にあるように、「わたしは(神は)、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、私にそむいたすべての咎を赦す。」ということです。きよめる、また罪を赦す。これは神の大切な働きです。人はだれでも時には間違いを犯しますが、たとえそれがどんなものでも、神のきよめと赦しを受けることができるのです。そして、罪の赦しをいただいた者は、神への感謝を心から捧げるようになるのです。礼拝の喜びを体験して生きる者に、聖化の時が確かに来るのです。

五番目に、9節にあるように、「この町は世界の国々の間で、わたし(神)にとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。」と言うことです。信仰者の群れは神の喜びの名であり、栄誉であり、栄えです。エルサレムに新たに住む民は、信仰の回復がなされる時に神の喜び、栄誉となるのです。彼らは神の祝福に預かり、神の平安のうちに生きるようになるのです。神の働きを畏敬の念を持って受け取る時が来るのです。神様は具体的にこれらの約束を、エレミヤを通してユダの民に与えています。これらの約束は終末の時にも関わる約束として理解することができます。

10と11節には、主はこう仰せられる。「あなたがたが、『人間も家畜もいなくて廃墟となった。』と言っているこの所、人間も住民も家畜もいなくて荒れすたれたユダの町々とエルサレムのちまたで、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。』と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えてくる人たちの声が再び聞こえる。それは、わたしがこの国の捕われ人を帰らせ、初めのようにするからである。」と主は仰せられる。と書かれています。本当に廃墟となったユダの町々やエルサレムで、主は慈しみ深く、その恵みはとこしえまで、と人々が語りかける時が来ると言うのです。そこに新たな礼拝が起こっています。

また、12節からは廃墟となった地域に羊の群れが集い、牧者たちに見守られて行く、そのような自然や大地の回復が起こっていく姿が描かれています。そして、その中心に救い主がおられるのです。

14節からは、救い主の誕生の預言がもう一度なされています。14節には、「見よ。その日が来る。主の御告げ。その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみのことばを成就する。」とあります。いつくしみの言葉とありますが、29章の10節にある「幸いな約束」と同じです。幸いな約束とは、捕囚からの解放でありましたが、ここでは、救い主キリストの誕生と統治の約束として表現されています。15節には、「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽生えさせる。彼はこの国に公義と正義を行なう。」とあります。ダビデの子孫として生まれるイエスの誕生によって、新しい時代が始まるのです。民の回復だけではありません。神の正しさが、神のみこころが、また神の契約がキリストによって実現していくのです。キリストの誕生によって、人々が罪の赦しを受け、救われていく、新たな時代が起こるのです。そのように理解することができると思います。それだけではなく、もう一度戻って来られるキリストによって、この地に公義と正義が確立されてゆく、そのような終末の約束とも理解できます。17節には、「ダビデには、イスラエルの家の王座に着く人が耐えることはない。」とあります。ダビデの子孫として生まれたキリストの統治は、永遠に続くのです。そしてキリストによって救われた者たちが集い、神を礼拝する、その礼拝は耐えることがないのです。

さらに18節で、「レビ人の祭司たちにも、わたしの前で全焼のいけにえをささげ、・・いつもいけにえをささげる人が絶えることはない、」とあります。旧約においてレビ人は、神の祭司の職務をになった者たちです。今私たちはキリストを信じる者、神の祭司とされています。私たちの礼拝は絶えることがない、その約束が今、新約の時代に起こっています。キリストによって新約の時代が到来したのです。エレミヤは確かに、新しい時代が来るその姿を私たちに教えています。そう、私たちは今、新約の時代に生きているのです。キリストにある信仰をしっかりと確立して、罪の赦しをいただき、神の喜び、また栄誉となって生きていこうではありませんか。

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