「新しい名で呼ばれる」(イザヤ62章2節)

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今回は、旧約聖書のイザヤ書から19回目のメッセージです。前回、「あなた方は恥に代えて、2倍のものを受ける。」(イザヤ61章7節)とのテーマからメッセージを語りました。イザヤ61章1節から3節の言葉を引用して、イエス・キリストは、今日聖書のこの御言葉があなた方が聞いた通り実現しましたと語っておられます。そこには「神である主の霊が、私の上にある。主は私に油を注ぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者を癒すために、私を遣わされた。」と書かれています。主の恵みの年が始まったのです。誰でもキリストの福音を聞き、悔い改めて福音を信じるなら、主の恵みの年が始まるのです。主の恵みの年(新約の時代)に生きる私たちは、時にかなった助けをイエスからいただいて生きることができます。キリストは私達の痛みや悲しみをご存知で、それらを喜びに、また賛美に変えてくださるのです。そして、新約時代に生きる私たちを主の祭司として神は立ててくださるのです。困難が大きければ大きいほど祝福も大きい、そのような意味で2倍のものを受ける、そのように神は約束されています。今日も心からの賛美を捧げ、私たちの主を大いに楽しみ、喜びたいと願っています。今回は62章からのメッセージですが、神は新しい名で私たちを呼んでくださる。その御言葉に今日は目を注いでいきたいと願っています。それではイザヤ62章を読んでみてください。

62章の一節には、「シオンのために、私は黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。」と書かれています。神様ご自身が黙り込まないとは、それは神ご自身が積極的に働かれると言うことです。何を働かれるのでしょうか。それは神の義が朝日のように光を放ち、シオンの救いがたいまつのように燃えるまでは、と書かれています。同様な箇所が60:1-4節に書かれています。そこには、「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」とあります。終末における神の栄光が預言されています。神様がシオンに栄光を表すのです。それは終末の時代に起きる約束の言葉でもありますが、同時に現代に生きる私達信仰者への約束の言葉でもあります。キリストを信じて義とされた者が主の祭司とされ、朝日のように光を放つのです。救いの素晴らしさがたいまつのように光り輝くのです。義とされた私たちのメッセージが世界に伝えられるのです。もっと大胆になってイエスの証をする者となりたいものです。

2節の後半には、「あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。」と書かれています。神様によって新しい名で呼ばれる。本当に素晴らしい約束です。新しい名について考えてみます。3節には、「あなたは主の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。」と書かれています。新しい名は、まず輝かしい冠、神の手のなかに守られる者、王のかぶり物と呼ばれることが想像されます。さらに、呼ばれると言う言葉が4節と12節に使われています。4節では「私の喜びは彼女にある。」と呼ばれ、あなたの国は夫のある国と呼ばれよう、とあります。私たちはキリストの花嫁と呼ばれ、神の喜びがキリストの花嫁である教会にあるのです。まず喜びと呼ばれることに目を注ぎましょう。12節では、「彼らは、聖なる民、主に贖われた者と呼ばれ、」とあります。また「尋ね求められる者、見捨てられない町と呼ばれる。」とあります。シオンは、聖なる民、主にあがなわれた者と呼ばれるのです。さらに決して見捨てられない町と呼ばれる。力強い神の約束です。天のシオンに住むキリストを信じる者は、輝かしい冠と呼ばれ、喜びと呼ばれ、聖なる民と呼ばれ、あがなわれた者と呼ばれる。この約束をしっかりと握っていきたいと思います。

6節から9節までには、神の守りが確かに与えられることが約束されています。6節には、「エルサレムよ。私はあなたの城壁の上に見張り人を置いた。」と書かれています。この見張り人とは、旧約聖書の預言者を表しているように思われます。エルサレムは絶えず、これらの見張り人によって祈られ、守られて行くのです。昼も夜も見張り人はエルサレムのために祈り、神に執り成しを続けるのです。そしてエルサレムは、決して他の民族に支配される事は無いとの約束が書かれています。7節には、「主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、」と書かれています。終末の約束の言葉とも理解されますが、神は確かにエルサレムを栄誉とされるのです。新約時代に住んでいる私たちにとって見張り人とは、聖霊の働きであると理解できると私は思っています。神の民である私たち信仰者を神ご自身が見守り導いてくださる、それこそ聖霊の働きです。ヨハネ14章16と26節には、「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(16)、「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(26)と書かれています。その約束を感謝を持って受け入れたいと思います。あなたも聖霊の守りの中に生かされているのです。

10節から12節までは贖い主がシオンに来ることが改めて預言されています。これらの内容は、イザヤ59章19ー21節の内容と極めて似ています。59章20節には、「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中の背きの罪を悔い改める者のところに来る。」と書かれています。この贖い主が来られるので、神の民は道を整え大路を造り、旗を掲げるのです(10節)。私たちは、この贖い主こそ、イエス・キリストであると信じる信仰者です。道を整えて、もう一度救い主イエスよ、来てくださいと祈って行きましょう。12節にあるように私たちこそ聖なる民、主にあがなわれた者と呼ばれるのですから。

私たちは新しい名で呼ばれる者たちです。あなたは、どのように神から呼んでもらいたいでしょうか。輝かしい冠、喜び、聖なる民、また、あがなわれた者と呼ばれる。これらのみ言葉を信じてまいりましょう。聖霊の守りに中に生かされ、イエス様来てくださいと祈りながら、この世で力強く生きて行きたいです。

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