「永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」(イザヤ54:8)

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今回は、旧約聖書のイザヤ書から12回目のメッセージです。前回私は、「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)とのテーマで語りました。イザヤは、イエスの十字架での罪の贖いの業を53章で預言しています。それも生き生きとイエスの苦しみを表現しています。53章のそれらの預言のように、イエスは私たちの罪を背負って十字架に着き、罪の贖いの業を完成してくださいました。私たちは、罪からの解放をいただいたのです。キリストは、サタンに対して絶対的な勝利をおさめたのです。キリストの十字架での苦しみを通して、私たちは救われたのです。そして、信仰者の一人一人の働きによって、キリストを神の御子と告白する教会が世界中に建てられています。私たちIBFもその一員です。罪の赦しを与えられた喜びを世界に向けて表して行こうではありませんか。救いと回復の業が始まったことを。ところで、54章のテーマは回復です。それも、エルサレムに向けて回復の業が始まったことが預言されています。回復、それは、神の業です。永遠に変わらぬ愛をもって、私たちを哀れんでくださる方がこの回復の業を起こしてくださるのです。この回復の預言に視点を置いて、今回は学んで行きたいと願っています。それでは、54章を読んでみてください。

1節の前半には、「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。」と書かれています。子を産まない不妊の女とは、廃墟となり、だれも住まなくなったエルサレムをたとえた表現です。文字通りに理解すべきではありません。
誰も住まなくなった町、荒廃した町、エルサレムよ。喜び歌えと呼び掛けています。それは十字架での贖いの業が完成したからです。バビロンにとらわれて行った人たちも贖なわれ、回復の業が始まるのです。4節の後半には、「あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりをもう思いださない。」と書かれています。キリストの贖いの業によって、過去の罪からの解放がおこり、過去の苦しみからの解放が起こるのです。イスラエルの民にとっては、捕囚とされて受けてきた苦しみや侮辱からの解放の約束です。5と6節には、イスラエルの民と万軍の主との関係が回復していくことが預言されています。回復の業は、神の愛ゆえに起こってくるのです。それも夫婦関係が回復するように、神とイスラエルの民の回復が起こってきます。

続いて、7-8節を読んでみます。「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」と書かれています。なんと美しい表現ではないでしょうか。エルサレムは確かに神に打たれました。しかし、エルサレムが回復すること、また、イスラエルの民が捕囚から解放されること、それは、神の永遠に変わらない愛ゆえに起こってくるのです。私たちの人生でも同じです。私たちの人生を振り返る時に、神様から見捨てられていると感じることもあります。状況が期待通り進まないこともしばしば起こります。しかし、それもここで表現されているように、しばらくの間、それもほんのしばらくの間ではなかったでしょうか。神は私たち一人一人を決して見捨てることはなさらないのです。神の愛は永遠に変わらない、神の恵みやあわれみは変わらない、そのことを信じる信仰者でありたいと願っています。

神の約束をもう一度振り返ってみましょう。10節には、「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」と約束されています。平和の契約、それは9節にあるように、ノアの洪水に後、もう洪水で人類を滅ぼすことはないと約束されたノアとの契約が背景にあるようです。虹がその契約のしるしとなっています。参照、創世記9章。山々が移るような状況が起こったとしても、私たち一人一人に対する神の愛は決して変わらないのです。もう大洪水で人類を滅ぼさないと神が約束されたように、キリストの贖いの業のゆえに私たちは救われて行くのです。この救いはイスラエルの民にも与えられています。この神の愛が私たちから離れることはありません。この約束は変わることはないのです。

少し戻って、2-3節には、「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。」と書かれています。福音の喜びを知った者に対してのチャレンジの言葉です。1節に、喜びの歌声をあげて叫べ。と書かれていたように、喜びの声を上げて行きたいです。そして、福音の言葉を持って、私たちはこの世に出て行くのです。天幕を広げる、右と左にふえ広がる、国々を所有する、大きなチャレンジです。しかし、皆さん、回りを見回してください。あなたの喜びの声を待っている方がおられるのです。神は私たちを福音の宣教のために用いようとされているのです。イエスの十字架によって救われた私たちは、このような宣教のビジョンを持って生きたいです。神の愛は変わらない。私たちと共に生きてくださるイエスがおられる。回復の人生を神は備えておられる。そのようなメッセージを力強く語って行こうではありませんか。そして皆さんで天幕の場所を広げてまいりましょう。

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