↓メッセージが聞けます。
今回は、「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マルコ8:33)からのメッセージです。
覚えておられるだろうか?ペテロはイエスに対して「あなたは、キリストです。」と信仰告白をしたことを。ペテロは、救い主であるイエスこそ、栄光の王、支配者であり、ローマの支配から解放しれくださる方であるとの希望を持つに至ったようである。それなのに、この救い主について、「必ず多くの苦しみを受け、・・・捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならない」と、イエスは語りはじめる。ペテロは、そんなイエスをわきにお連れして、いさめ始めたとある(32節)。「先生そんなことがあるはずはありません。そんなことを決して言ってはいけません。」そのように語ったのではないかと私は思う。そんなペテロに対して、「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」とイエスはしかりつけたようである。なんて厳しい言葉だと私は思う。
それでは、人のことを思うとは、どんなことを意味するのだろうか?あなたのような良い方が、無惨に殺されるはずはありません。神であるあなたが、そんな死に方をするはずがありません。きっとそのような思いをペテロは抱いたのではと私は思う。では、神のことを思わないでとは、どんなことを意味するのだろうか?皆さんは覚えておられるだろうか?エジプトで奴隷であったイスラエルの民を神は解放してくださったことを。彼らは十戒が与えられ、神の民とされ、幕屋で神を礼拝する民とされるたことを。出エジプト記19:5,6節を読んでいただきたい。「もしあなたがたが、まことに私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは、すべての国々の民の中にあって、私の宝となる。・・・あなたがたは、私にとって祭司の王国、聖なる国民となる。」と約束されている。
神のご計画、それは、救い主が私たちの罪を背負って十字架について死に、罪の赦しを与えること、よみがえって、永遠の希望を私たちに与えることである。神のご計画は決して変わらない。私たち一人一人を愛して、罪からの解放を与えようと私たちが生まれる前から神は決断された。そして私たちクリスチャンを宝と見てくださり、祭司、聖なる国民としてくださっている。
イエスは続けて語られる。「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、決して死を味わわない者がいます。」(9:1)と。イエスの復活こそ神の国の到来であり、聖霊の降臨を通して教会が生まれることこそが神の国の到来である。2020年は4月12日がイースターをお祝いする日である。IBFではこのイースターの喜びを教会の集会としてお祝いできないことはとても寂しい。しかし、場所は違っても、キリストの復活は神の国の到来であることを覚えていきたい。そして、キリストはわたしたちの人生を変えてくださったとのメッセージをもって、イエスを救い主として礼拝をしていきたいと思っている。