「あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。」(エレミヤ13章16節)

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今回は、エレミヤ書から8回目のメッセージです。前回は、「この契約のことばを聞け。」(エレミヤ11章2節)とのテーマで語りました。この契約の言葉とは、イスラエルの民がエジプトから救い出された時に結んだ神との契約です。その中心は、モーセの十戒です。神様は、イスラエルと契約を結ばれたのです。彼らは、聖なる国民、祭司の王国となることができたのです。しかし、契約を守ることができなかった彼らは、ついに裁かれることとなります。この裁きに一時的に用いられた国が、バビロンです。南ユダはバビロンによって滅ぼされ、イスラエルの民はバビロンに連れて行かれることになります。契約を守るならば祝福される。守らないならば呪われる。これは彼らが結んだ契約であり、契約を守らない、それゆえに国を失ったのです。実に悲しい結末です。現代に生きる私たち信仰者も、キリストを信じて、新しい契約の中に生きています。罪の赦しをいただくと共に、天国の約束をいただいています。そのキリストとの契約に感謝し、その契約にとどまる者でありたいと願っています。恵みの契約に留まる、その思いを共にして行きましょう。

今回は、エレミヤ書12と13章入ります。今日は13章16節、「あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。」とのみ言葉を取り上げます。これは、どのような環境に置かれても、絶えず自分に言い聞かせるべき、み言葉であると思います。

12章では、エレミヤは神に質問を投げかけます。12章1節で、「1つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。」と問いかけています。エレミヤの神への質問は、私はあなたに従っているのに、こんなに多くの問題を抱えてしまっている。それなのに悪者と表現されている、偽預言者たちは多くの人たちに歓迎されている。こんな不平等なことが起こるのは、なぜなのですか、との問いかけです。エルサレムは神の宮がある所なので神の助けがある。南ユダに攻めてくる国々は神によって裁かれる。このようなメッセージを語り続ける偽預言者たちが多く存在していたのです。4節では、「いつまで、この地は喪に服し、すべての畑の青草は枯れているのでしょうか。」と問いかけています。エレミヤは、なぜといつまでとの問いかけを神にしています。

なぜ、いつまで、このような問いかけを私たちも、時に神に投げかけることがあるのではないでしょうか。しかし、聖書を読み進めて、神の視点を見てみましょう。私たちの視点とは違っています。南ユダが裁かれるのは、契約の民が神との契約を破ったからです。神はその契約に基づいて民を裁かれるのです。そのプロセスは誰も止める事はできません。いつまでとの問いかけは、バビロンによって滅ぼされ、南ユダの民が悔い改めて戻ってくるまでです。そう聖書から読み取ることができます。

5節の後半から6節には、「あなたは平穏な地で安心して過ごしているのに、どうしてヨルダンの密林で過ごせよう。あなたの兄弟や、父の家の者さえ、彼らさえ、あなたを裏切り、・・」とあります。神様のエレミヤへの答えは、現在のあなたの状況は、これから起こる神の裁きの時と比べて、決して大変なことではないとの応答です。不平を言いたい私たちの状況は、時には、決して最悪でないことが多いのではないでしょうか。7節から、神は南ユダを見捨てていること、敵の指導者たちが神の神殿を踏み荒らすこと(10)、そして、恐怖がエルサレムを覆うことが語られていきます(11)。

契約を守らない民には、厳しい裁きが確実に臨むのです。

14節からは、同様に、イスラエルの国の近隣の国々もバビロンによって亡ぼされることが預言されています。しかし、15節には、「しかし、彼らを引き抜いて後、わたしは再び彼らをあわれみ、彼らをそれぞれ、彼らの相続地、彼らの国に帰らせよう。」とあります。それは、彼らが悔い改め、神に立ち返るならばとの条件が明らかにされています(16)。

神の答えは明白です。契約を守らない民には、厳しい裁きが確実に臨むのです。そこに民族の違いはありません。しかし、悔い改める民を神は赦してくださり、回復を与えてくださるのです。

13章では、亜麻布の帯を題材にして、「わたしは、ユダとエルサレムの大きな誇りを腐らせる。」(9)と、神が語りかけておられます。帯は、神との結びつきを表すものであり、11節には、「なぜなら、帯が人の腰に結びつくように、わたしは、イスラエルの全家とユダの全家をわたしに結びつけた。」と書かれています。もし、契約の民が神に立ち返るなら、この帯のように彼らは神にしっかりと結びついて生きることができるのです。

問題の中で私たちは、しばしば神になぜなのですかと問いかけます。しかし、神の愛は決して変わることはありません。神は、ご自身の約束を守られる方です。契約を守らないで、不平を言いやすいのは私たちの方です。そんな時、大胆に信仰の告白をして行きたいと願います。13章16節、「あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。」と書かれています。このみ言葉を思い出しましょう。問題だけを見るのではなく、神の恵みを振りかえてみましょう。イスラエルの民は、知らず知らずに高慢になり、神の恵みから離れて行ったのです。そして、彼らはこの困難な中で、謙遜を学ぶ時なのです。神に立ち返る時なのです。主に栄光あれと力強く告白する時なのです。

なぜなのですか、との同様な問いかけをヨブも投げかけています。ヨブの苦しみはエレミヤものとは違います。ヨブが苦しむ原因は、彼の罪ではありません。しかし彼の友人たちは、あなたが何か悪いことをしたからに違いないとヨブに詰め寄ります。その問いかけがヨブの心をさらに苦しめることとなります。しかし困難な中にいるヨブの人生に神は関わってくださっておられるのです。彼は、神のご計画の大きさに気づき、神の大きな力を受け入れ、心から神の御業を褒めたたえる者と変えられて参ります。ヨブの体験とは違いますが、エレミヤも神の御業をほめたたえる、その信仰にたどりついています。どうして、また、いつまでと問いかけをする私たちですが、神の約束は変わりません。キリストを信じる者は罪の赦しをいただき、永遠の命が与えられるのです。キリストは天に私たちの住まいを用意してくださる方です。その約束を信じて神を褒めたたえ、神に栄光をお返ししていく、それが私たちの人生ではないでしょうか。地上の問題から、私たちの視点を天に移す時に、神の大きなご計画が見えてくるように思えるのです。

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