真心から神に近づこうではありませんか

 ↓メッセージが聞けます。

今回は、「真心から神に近づこうではありませんか」(へブル10:22)からのメッセージです。前回は「私たちは聖なるものとされているのです。」(へブル10:10)とのテーマでメッセージを語りました。あなたも、私もキリストの十字架を通して、罪の赦しを得ているのです。神は信仰を持つ私たちを聖い者と認めてくださり、私たちは大胆に神の前に出て行くことができるのです。そのような内容を語ってまいりました。前回までで、実は、5章からスタートした大祭司キリスト論の学びを終えたのです。今回の箇所は、いままでの教えに基づいた、具体的で大切な勧めの箇所であると言えます。それでは、へブル10章19-25節を読んでみてください。

19節は、こういうわけですからと書き始めています。大祭司であるイエスがおられるのだからと、今迄学んだことに基づいて具体的な勧めをなして行きます。ところで、19節から25節までは、7節に分けられていますが、ギリシャ語では、この箇所は一続きの文章として書かれています。それを分かりやすく7つの文章に分けた聖書翻訳の大変さを覚えます。ぜひ、いくつかの聖書を見比べて見てください。口語訳聖書は、大きく2つの文章に分けています。それは、22節と23節がコロンでつながっているからです。聖書翻訳のいろいろの試みに気づかれるのでは思います。この一続きの文章、それもコロンでつながった文章の中心が、「真心から神に近づこうではありませんか。」と「しっかりと希望を告白しようではありませんか。」になります。「真心から神に近づこうではないか」との勧めの流れの中で、「しっかりと希望を告白しようではありませんか」と勧められています。

それでは、これらの中心的な文章の前後の箇所は、その理由であったり、または具体的なアドバイスであったりすると理解できるのではと思います。その中のいくつかを取り上げてみたいと思っています。19節には、「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」とあります。イエスの十字架を信じる私たちは、大胆に神の御前にでることができる。それは、へブル9章12節にあるように、イエスは「永遠の贖いを成し遂げられた」からです。イエスは、私たちのために永遠の贖いを成し遂げられた、ただ一度で、贖いの業を完成された。そのことのゆえに、私たちは大胆に神の前に出ることができる者とされているのです。これが、私たちが神に近づける第一の理由です。

20節には、「私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださった。」と書かれています。ヨハネ14章6節には、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれ一人父のみもとに来ることはありません。」と語られたイエスのことばが記録されています。イエスは新しい生ける道として、ご自身をいけにえとしてささげてくださり、神の臨在のみ前に行く道を開いてくださったのです。イエスが道を開いてくださった、これが第二の理由です。

21節には、イエスこそ神の家を治める方であることが述べられています。神の家とは教会のことで、イエスこそ教会の頭であり、私たちのためにいつもとりなしの祈りをもって支えてくださっています。イエスこそ偉大な祭司であり、私たちのことを心に留めてくださっている方である。それが、私たちが神に近づける第三の理由です。

22節には、「私たちは、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから」と書かれています。このことは第四の理由です。イエスの十字架で流された血は、わたしたちの心をきよめるものです。また、私たちは信仰をもって洗礼を受けた者です。その洗礼を通して、神は私たちを、罪赦された者と見ておられるのです。
これらの理由によって、へブル書は、私たちに、「真心から神に近づこうではないか」と勧めています。神に近づくことができる、神を身近な方として受け入れ生きることができる、それが私たちのクリスチャンとしての歩みです。

神に近づき、しっかりと希望を告白する、そのような生き方をヘブルの作者は勧めています。
その理由として、約束された神様は真実な方であるからです(23)と書かれています。神様は真実な方、それ故に、私たちは希望を告白できるのです。そして、希望を告白する者として、具体的な勧めをなしています。24節には、「互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。」と勧めています。孤立した信仰者は弱さを覚えることがしばしばです。ここでは、互いに、勧め合って、注意し合おう、そのように言及し、そのような人間関係を造って行くことを勧めています。

真心から神に近づく、しっかりと希望を告白する、そのために励ましあう。キリストの再臨を信じる者として、世の終わりが近づくほど、一緒に集まって、励まし合う関係を造って行きたいと願っています。