「名をイエスとつけなさい。」(ルカ1:31)

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メリークリスマス。
今日は、クリスマス礼拝です。ルカの福音書から3人の登場人物を選んでみました。第一にイエスの母マリヤです。第二にクリスマスの物語に登場する羊飼いたち、第三に主の宮でイエスにお会いしたシメオンと言う老人です。これらの方々の信仰、置かれた立場を通して、クリスマスの出来事を振りかえりながら、救い主の誕生をご一緒に喜び、お祝いして行きたいと願っています。それでは、マリヤの置かれた状況と彼女の信仰に目を向けてみましょう。

ルカ1章26-38節を開いてください。み使いガブリエルが現れ、マリヤに「あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。(31)」と語りかけられた箇所です。28節で、み使いはマリヤに語りかけます。「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と。マリヤは、これはいったい何のあいさつかと考えこみます。するとみ使いが言います。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。・・あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」(30-33) マリヤに語られた内容はとても興味深く、驚くべき内容です。事実だけを述べると、あなたは男の子を産む。名をイエス(主は救いの意)とつけなさい。この方は、旧約聖書に預言された救い主で、ダビデの王位につかれる方です、との意味が含まれています。参照イザヤ9:7。マリヤの応答は、「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(34)です。35節で、み使いの答えが書かれています。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」と。皆さん、お気づきでしょうか。34と35節のマリヤの応答とみ使いの答えは、イエスは聖霊の創造的な働きによって生まれた方であり、マリヤの胎に命が宿ったことは聖霊の働きであることを明らかにしています。聖霊によってイエスは宿る、それ故に、イエスご自身は神の子と、聖なる方と呼ばれるのです。そして、あなたの親類のエリサベツも高齢になっているのに男の子を宿していますよ。「神にとって不可能なことは一つもありません。」と、み使いはマリヤに語りかけています。
38節には、マリヤの信仰告白が書かれています。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうか、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と。はしためとは、身分の低い女性のことで、召使いの女性を意味する言葉です。神のことばを受け入れ、私はあなたのはしためですと応答できた女性、このような女性に神の御業が臨んだのです。

ルカ1章46-55節には、マリヤの賛歌が書かれています。マリヤの謙遜な心と、マリヤの主への感謝や喜びが現れています。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。(46‐48)」50節には、「そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。」と書かれています。クリスマスの喜びは、謙遜な心を持って、主が救い主をこの地上に送ってくださった、その尊い働きを受けいれる時に与えられて行くのではないでしょうか。神のあわれみは、全ての信仰者の上に代々にわたって与えられているのです。

2番目の登場人物として、羊飼いたちを取り上げます。ルカ2章8-20節を読んでください。彼らは、主の栄光を目撃します。そして、主のみ使いの声を聞くことになります。11節には、「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」とあります。当時の羊飼いは、安息日を守れない職業として、イスラエルでは最もいやしい職業とされていました。律法を守れないので、神から見捨てられているように思われていた方々です。しかし、これは人間の視点であって、神の視点ではありません。きっと夜も野で過ごすことも多い彼らは、神の創造の素晴らしさや、自然の恵みを多く覚えることができた方々であったと思います。天の星を見ながら、心を神に向けていたことでしょう。彼らこそ、天の軍勢の賛美を聞くにふさわしい者であったのです。天のみ使いの語りかけにすなおに応答できる人たちだったのです。だからこそ、飼葉おけに寝ておられるみどり子イエスに最初にお会いできる特権を与えられたのです。20節には、「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部み使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」と書かれています。救い主に出会い、神をあがめ、賛美する、なんという特権かと私は思うのです。

3番目の登場人物は、老人シメオンです。22-35節をお読みください。この方を、「この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。」と25節で紹介しています。続く節では、聖霊のお告げを受けていた、また御霊に感じてと表現しています。いかに彼は神を信じ、聖霊の導きに従順であったかが強調されています。30節から、「私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」と書かれています。聖霊によって示されること、それは、イエスこそ救い主、また啓示の光。この方の十字架の贖いこそ、万民のための救いの業であることだと思います。聖霊の導きをいただいて、イエスこそ私の救い主との証をなして行きたいと思っています。

クリスマス、それはイエスの誕生をお祝いする日です。この老人シメオンのように、イエスに向かい、あなたこそ私の救い主と御霊による告白をしてまいりましょう。また、マリヤや羊飼いたちのように、ますます謙遜になって、イエスの救いを味わい、救いの喜びを分かちあう者でありたいと願います。

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