「永遠の誇り、代々の喜びの町」(イザヤ60:15)

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今回は、旧約聖書のイザヤ書から17回目のメッセージです。前回、「主は絶えず、あなたを導いて」(イザヤ58:11)とのテーマからメッセージを語りました。イザヤ58章には、形式的な当時の礼拝の姿が映し出されています。偽善の祈りと断食に対する神の非難のメッセージが語られています。しかし、今私たちは、十字架で贖いの業をなし遂げてくださったイエスを信じて歩んでいます。毎週、礼拝に集い、イエスに精一杯の感謝をささげています。形式的な断食の必要はもうありません。神に受け入れられるために、行いを誇る必要もないのです。神の恵みによって私たちは救われたのです。私たちの心を神はご覧になっています。そして、どんな小さな祈りでも神は聞いておられます。主は絶えず、私たちを導いてくださるのです。そのような信仰を持って日々歩んでいきたいと願っています。

59章では、神と人とを隔てる罪の姿が指摘されています。ところが、そのような人の姿を見て、15節には、神は心を痛められたと書かれています。神は心を痛め、ご自分の御腕で救いをもたらそうとされたのです(16)。その対象には、異邦人も、勿論イスラエルの民もいます。59章20節には、「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中にそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」と書かれています。新約時代のパウロはこの箇所を引用し、キリストを十字架に着け、心を頑なにして行くユダヤの民に向かって、彼らも救われていくとの預言的なメッセージを語っています。参照ローマ11:25-27。贖い主が来られる。それはイエス・キリストの誕生によって成就しますが、主の救いの約束は神の民から決して離れることがないと21節に約束されています。

今日は、60章に入ります。シオンの栄光とシオンにもたらされる富について書かれています。この箇所をバビロンに捕囚とされた民の目線から、そして、終末の時代に生きる私たちの目線から見てみたいと思います。それでは、60章を読んでみてください。

1節には、「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」とあります。イエス・キリストが来られて、シオンに栄光が注がれるのです。ヨハネ1章4-5節では、イエスを人の光として紹介し、光はやみの中に輝いている、と表現しています。全ての民の上に、特に信仰者の群れにイエスの栄光が注がれる時が来るのです。今の時代もイエスの誕生の時も同様です。暗闇が世界を覆っています。いろいろな不安や心配を抱えて人々は生きているのです。しかし、信仰者の上に主が輝く時が必ず来るのです。私たちは起き上がって、主の栄光を受けて、光を放つ者として生きるようにと、イザヤは大胆に信仰者に命じています。

4-9節には、シオンに民と富が集まってくる様子が表現されています。4節には、「目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。」と書かれています。全世界からシオンに礼拝を捧げるために信仰者たちが集まって来るのです。異邦人も息子、娘とされて集まって来るのです。実に多くの地域から神を礼拝するために宝を持参してシオンに集まる様子か表現されています。特に7節には、ケダルの羊、ネパヨテの雄羊とありますが、彼らはアブラハムの子イシュマエルの子どもたちの名前です。参照創世記25:13。イシュマエルはアラブ民族の父ですから、文字通り理解するとアラブ民族、イスラム教徒の方々もシオンに集まり、礼拝を共にする姿が預言されています。「ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、これらは受け入れられるいけにえとして、わたしの祭壇にささげられる。・・」と7節には書かれています。

10-18節には、全世界がシオンに集い、イスラエルの聖なる方である神に服従する様子が表現されています。10、11節には、「外国人もあなたの城壁を建て直し、その王たちもあなたに仕える。・・あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。」と書かれています。全ての民が神に仕えるので争いがなくなり、門を閉じる必要はなくなるのです。そして、世界でも有名なレバノンの木材が神の聖所に使われ、神の足台を尊くする、と13節に書かれています。世界の富が真の神を礼拝するために用いられるようになるのです。14、15節には、イスラエルを苦しめてきた民も、シオンにひれ伏して、「あなたを、主の町、イスラエルの聖なる方のシオン、と呼ぶ。あなたは捨てられ、憎まれ、通り過ぎる人もなかったが、わたしはあなたを永遠の誇り、代々の喜びの町に変える。」と書かれています。神様のご計画は不思議で驚くべきものです。シオンが永遠の誇り、代々の喜びの町と変えられる時がくるのです。これらの預言は、国を失い、バビロンに捕囚とされた方々にとって、どんなに希望にあふれた言葉であったろうかと私は思います。捕囚から解放された民は、永遠の誇り、喜びの町をこれから再建して行くのです。シオンとは、イザヤの時代にはエルサレムやその神殿を指して用いられていますが、新約聖書では、天のエルサレムと同じ意味で、神の民を指して主に用いています。私たち神の民を永遠の誇り、喜びの町と神は呼んでくださっているのです。

19-22節には、神の栄光がシオンの上に輝いている様子が表現されています。私たちは、太陽や月の光に頼る必要がなくなるのです。太陽も月も神が創造されたものです。19節には、「主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの栄光となる。」と書かれています。この言葉は、黙示録21章1節にあるように、新しい天と新しい地が創造される時に実現します。私たち信仰者が、聖なる都、新しいエルサレムとなり、神の民となるのです。全ての苦しみから解放されて、新しい天と新しい地でイエスと共に生きる時がいつか来るのです。黙示録22章5節には、「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。・・」とあります。これらの約束の言葉を信じて、光を放つ人生をイエスと一緒に生きて行こうではありませんか。

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