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ヘブルの作者は、大祭司であるイエスの姿を私たちに教えてくれています。特に9章と10章の中で、ただ一度との言葉を何度か用いて、キリストの贖いの完全性、永遠性を強調しています。いくつかを見てみましょう。9章11、12節には、「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、・・・ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いをなしとげられたのです。」とあります。9章26節には、「しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」と書かれています。10章10節には、「このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」とあります。このように、ただ一度だけとの言葉で、キリストの贖いの完全性、永遠性が強調されているのです。キリストを信じる者は救われ、聖なる者とされているのです。時代や文化を超えて、救われる者が起こされ、そしてこれからも起こされて行くのです。次回からはヤコブの手紙を学ぶ予定ですが、イエスをキリストと信じることのできなかったイエスの兄弟ヤコブも救われ、教会のリーダーに変えられていきました。日本の戦国時代にも、イエズス会の宣教師によって多くの大名も信仰に導かれてまいりました。私はその中でも最後まで信仰を守り通して、マニラに送られた高山右近の信仰に興味を持っています。明治に入り、今の北海道大学に赴任したクラーク博士によって内村鑑三を始め多くの方々が信仰に導かれてきました。戦前、戦争に否定的な発言をしたため東大教授から追われ、戦後に東大の総長をされた矢内原忠雄(やないはらただお)先生も有名な方です。時代や文化を超えてキリストへの信仰を持つ者が多く起こされてきたことは歴史的な事実です。ただ一度で十分、また完全なキリストの贖いの業の故に、どんな時代にも世界中で信仰者が起こされてきているのです。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」この言葉の約束をもう一度かみしめていきましょう。それは、私の人生にもあなたの人生でも同じです。罪の赦しが与えられ、人生観が変えられ、自己中心的な人生から、隣人を愛する人生へと変えられていくのです。
13章20-21節で、この手紙を書き終えようとしているヘブルの作者は、祝福の祈りをささげています。この箇所を新改訳2017聖書で引用してみます。
「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行なわせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。」
私は何度もこの箇所を読み返して感銘を覚えます。イエスのことを永遠の契約の血による羊の大牧者と表現しています。大祭司である方は、大牧者でもあるのです。詩篇23篇1節に「主は私の羊飼い。」とありますが、イエスこそ私たちの羊飼いであり祭司です。それも永遠の契約の血によるとあり、死者の中から導き出されたとあります。イエスこそ、私たちの羊飼い、そして神の子羊として、十字架に着き、死なれ、よみがえられた方です。永遠の契約とは、私たちの罪を赦し、もう二度と思い出すことをなさらないとの神の約束です。そして、聖霊によって神の愛の律法を私たちのこころに与えてくださるとの約束のことです。ところで、この文の主語は、平和の神ですから、へブルの作者は、父なる神を平和の神と呼んでいます。父なる神は、御子キリストによって私たちに平和をもたらしてくださったのです。この平和の神が、あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行なわせてくださいますようにと祈っています。あなたがたを整えるとありますが、新改訳聖書では、あなたがたを完全なものとしてくださいますようにと訳しています。本来この言葉は、修理する、完全に回復させるとの意味を持ちます。平和の神が、あなたがたを完全に回復させてくださり、つまり整えて、みこころを行なわせくださるようにと祈っています。神の大切なみこころは、あなたが救われて、永遠のいのちを持つことです(ヨハネ6:39,40)。時には試練や困難に私たちは直面します。しかし、そのような困難な時には、神の助けも十分に与えられることも確かです。「患難が忍耐を生み出し、忍耐がねられた品性を生み出す」(ローマ5:3,4)との約束を握りながら、神のみこころが私たちのうちでなされますようにと祈っていきましょう。兄弟愛の実践を忘れてはならないと思います。そして、何を成すにも、高ぶることなく、「栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。」と心から頌栄の祈りを祈っていこうではありませんか。
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